0
会員になると、いいね!でマイページに保存できます。
「個の多様性」
欧米と比べると、日本は同質的な人財が多いと言われる。事実、個人個人は多様であるのに同質的な教育が多いように見える。
(1)世界の知:
1.カール・ポパーの知の再認識
科学哲学者のカール・ポパーは「人間は間違いを犯す存在である」と言う。誰しもが合意するテーゼであろう。企業で働く人々は間違うことが前提ならば、経営活動の善し悪しの要因となる人の誤謬については、何らかの形でチェックをしなければならない。
事実、現在世界的に重要視されているのが、コンプライアンスや個人情報保護等の企業倫理やセキュリティ対策である。人の誤謬に加えて企業の不祥事が多発しており、コーポレートガバナンスや内部統制が益々重要視されている。カール・ポパーは、また人間には3つの世界が開かれているとする。
・物理的なものの世界
・心の中で発達したものの世界
・ 両者の相互作用の結果の世界
「物理的なものの世界」は、人間を取り囲む現実の環境を意味する外部構造を指し、「心の中で発達したものの世界」は、人間独自のイメージ、音、言葉等の意識の内部構造を意味する。「両者の相互作用の結果の世界」は、それらが融合したすべて、すなわち、「物理的なものの世界」に対して「心の中で発達したものの世界」が関係し、判断・対応した多様なものやことの集積といえる。例えば企業経営の諸活動は正にその例であろう。
こう考えると物事は複雑且つ複合的で錯綜しており、全体を見据えないと、意志決定ができないことになる。つまり、我々は多様な個人の生業の相互作用性や誤謬性の評価を、人のネットワーク全体で効果を評定しなければ、経営の良し悪しは測れないことになる。ここに、3つ目の全体最適の難しさが存在する。
2.イリア・プリゴジンの知
1928年生まれのアメリカの評論家、作家、未来学者であり、「第三の波」で名の通ったアルビン・トフラーが彼の著書『戦争と平和』(徳山二郎訳)で、「世界システムはプリゴジン的性格を帯びつつある。」と看破したのが、生命論パラダイムの世界である。つまり、1977年に「散逸構造論」でノーベル賞を受賞したベルギーの物理学者イリヤ・プリゴジンの提唱する、「我々が住むのは、成長したり減衰したりする多様な<ゆらぎ>の世界であり、その<非平衡不安定な状態>における<個の自由>なふるまいから、<全体の秩序が創発>されてくる」とする生命論的世界観を、経営の中に素直に受け入れることではないだろうか?
たとえば、規則でがんじがらめに縛っても、法律をかいくぐる不正と法理のイタチごっこのように、変化する社会では競争力を保てない。個の多様性をベースとした社会構造の現象のひとつが企業組織や企業活動であるとすれば、本当に個々人の能力を可視化し個人の自発性に委ねる企業経営こそが、著書が提唱する組織能力を最大化する「知の経営」そのものである。
つまり、プリゴジン博士が言う「個々人の自由な振る舞いが、全体最適に結びつく(自己組織化)経営」こそが最も効率的な方法であるのかも知れない。
(2)日本の知:
1.宮崎駿の知
思春期のお客さんを対象に「魔女の宅急便」や「風の谷のナウシカ」を、少年達のためには「ラピュタ」を作りましたと言う、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」は、「いろいろ複雑になってくる前、お父さんお母さんに対しても、大人の決めたルールに対してもそれなりに律儀で、というところで生きている女の子達に向けた」アニメである。大人が見ても日本人の原点に気付かせてくれる。
変化する時代に、規則やルールだけでは企業競争に勝てない事実からしても、現在の秩序(旧来の市場ルール)とカオス(新しい柔軟な市場要請)の間のような社会で生きることは、顧客価値や社会価値を考える、まさに個人の独自性や真摯さにかかっているのかも知れない。
宮崎監督は、「悪役は、悪玉とか善玉っていうことよりも、世間なんだっていうふうに思って作っています」と言う。彼自身が日本の心を持っているので、「あくまでも正義と悪と両極端に分けた人の評価をしたくない」と。八百万の神を例にとって多様性を前提に、全てを受け入れる日本人の考え方からは「誰かが悪いから、抹殺して良いと言うことにはならない。」という趣旨のことを表現したいと言う。
宮崎駿の知を経営に応用すれば、合理主義的な欧米流を盲目的に導入するのではなく、日本の良さ、特に経営のベストプラクティスを構築するには、性善説的な個の多様性の再確認が必要となるのではないだろうか。
2.宮本武蔵の知
1983年春、著者がアメリカのボストンにあるハーバード・ビジネススクールの生協で見つけた「Five Rings」と言う書物は、二刀一流の剣豪、宮本武蔵の「五輪の書」であった。異国の地で、異国の言葉で読んだ戦略書は、日本人の心を打った。360年も前に兵法について5つの巻きにしたためている根本原理が、「地水火風空」である。
その最初の「地の巻」において、「大きなる所よりちいさき所を知り、浅きより深きに至る」(「五輪書」宮本武蔵著、渡辺一郎校注、岩波文庫より、以下同様)と、全体思考の重要性を説いている。
「水の巻」において、「水は方円のうつわものにしたがい、一てきとなり、さうかい(注:青海原)となる」と、人の柔軟性を唱え、
「火の巻」では、「心を大きなる事になし、心を小さくなして、よく吟味して見るべし」と、変化の速さに対応するスピードを述べている。
「風の巻」においては、「むかしの風、今の風、その家々の風などとあれば、・・・他のことをよく知らずしては、自らのわきまえ成りがたし」と、環境や関係性の重要性を、そして、
「空の巻」で、「道理を得ては道理をはなれ、兵法の道に、おのれと自由ありて、・・・」と、市場でのタイミングの大事さ自然体を説いている。
兵法である以上、本質は個の力であろう。ただ、五輪(地・水・火・風・空)との調和を考えている結果、五輪の書では、個の力が組織の力に昇華している。正に兵法の本質と経営の本質が重なって見えるのは、異国の地で日本の良さを感じた著者だけであろうか?
上記の例は、多様性を認め、人本位の経営をし、全体思考で最適解を見つけるために、それらに気付く目を持てと、経営の神髄を教えてくれているように思える。
関連タグ