寺島実郎氏が語る日本再生への道 「米国で巻き起こる2つの革命」から学びはあるか
グローバル化時代に必要な人材とは
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問題を解決するための「情報力を高める活動」とは
寺島氏は講演の冒頭で、自身が関わっていた1980年代前半における世界のエネルギー情勢について語った。当時、イランとイラクの国境線で大型石油化学コンビナートの建設プロジェクトが進んでおり、3,500名もの日本人が派遣されていた。1979年に起きたイラン革命後には、ホメイニ政権とどのように向き合うべきか、世界の専門家の間で議論が巻き起こった。特にテヘランの米国大使館が1年間占拠されていた時期には、米国務省がイラン問題の専門家をノミネートし、人質救出活動のタスクフォースを立ちあげるほどだった。
寺島氏は、彼らを訪ね驚いたという。「三井物産は全力をあげて情報活動に注力していましたが、アラブ筋の情報ばかりに依存しており、イラン革命が起こるとは夢にも思いませんでした」
ところがイスラエルの情報機関では、以前からイスラム原理主義革命が起きるかもしれないと予測していたという。寺島氏は「そこで、中東に社運をかけるようなプロジェクトを打つならば、アラブ筋だけでなくユダヤ筋にもしっかりアクセスする必要があると上司に進言した。それならばお前がやれ、という話になりました」と当時を振り返る。
イスラエルのテルアビブ大学に行った寺島氏は、「知識や教養を深めるための情報活動だけではどうにもなりません。問題解決のための活動とはどのようなものなのか、目が覚める思いがしました」と当時の心境を語る。
アラブ諸国に囲まれ、いつどうなるか分からない緊張感のあるイスラエルでは、やはり情報に対する想いがまるで違うのだという。
「モサド(イスラエル諜報特務庁)の下部組織のようなところに、さまざまな分野の専門機関があり、アラファト議長やホメイニ師などの人物を多面的かつ徹底的に分析していました。精神面から諜報活動に近い情報まで握っていて驚いた記憶があります。これが、問題を解決するまで情報力を高めることだと思い知らされました」
寺島氏が後に異動したワシントンのブルッキングス研究所では、ペンタゴンや国務省、NSCの担当者と親交を深める時代もあった。その頃、ワシントン郊外に隣接するジョージタウンという街にあった「Sea Catch」というシーフードレストランでよく食事をしたそうだ。
「そこには『ここがコンピュータの発祥の地』というパネルがありました。実はこのパネル、IBMが寄贈したものでした。そのレストランは、かつてIBMが軍の弾道ミサイルの軌道計算をするコンピュータを開発していた跡地に建てられたものだったそうです」
ITとエネルギーの2つの新しい革命で蘇えった米国
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