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- 2025/02/19 掲載
日産・ホンダ破談は正解?歴史年表が示す…自動車会社の「統合・合併」失敗パターン
プリンスやダイハツも…経営統合・合併の歴史
昨年暮れの「経営統合に向けた…」という驚きの報道から始まった日産とホンダの経営統合の話は、破談になりました。どちらも世界の十指に数えられる自動車メーカーだけに、経営統合という一大決心は、問題が多かったのでしょう。現実にならなかったとはいえ、ビッグネーム同士の経営統合の話が、世間で大きなインパクトを与えたのはたしかなことでしょう。しかし、歴史を振り返れば、自動車メーカー同士の統合や合併は、決して珍しい話ではありません。
日本で言えば、日産が1960年代にプリンス自動車を吸収合併しているほか、トヨタが提携を経てダイハツの子会社化を進めた事例があります。そのほか、1990年代に経営不振に陥ったマツダがアメリカのフォードの傘下に入った事例もあります。当時のフォードは、マツダ以外にもボルボやジャガーなど数多くの自動車メーカーを配下にしていました。
加えて記憶に新しいのが、経営不振であった日産と三菱が、ルノーとアライアンスを組んで息を吹き返した事例でしょう。このように日本企業中心に振り返っても、自動車メーカー同士の吸収・合併の件数は多いのですが、世界全体で見れば、さらに多くの経営統合や合併、提携が行われてきました。
2000年前後の「経営統合・合併・提携」のトレンド
近年で、そうした経営統合や合併、アライアンスが盛んに行われたのは、「日産×ルノー×三菱自動車」が生まれた1999年前後です。その前年にはドイツのダイムラーと、米クライスラーが合流して世界的な話題となりました。当時は、「年間新車販売台数が400万台以上なければ生き残ることができない」という意味が込められた「400万台クラブ」という言葉が、自動車メーカー同士の経営統合におけるキーワードとして盛んに語られていました。そのため、小さな自動車メーカーの多くが、フォードやGMの傘の下に集ったのです。
ところが、それから10年も経たずに、リーマンショックが発生します。アメリカのGMやフォードが大きく揺らぎます。その結果、その傘下にあったマツダやボルボなど、多くのブランド(自動車メーカー)が放出され、その後、新たな提携を求める形となりました。スズキとフォルクスワーゲンの提携も、そうした流れの中で生まれています。
こうした合従連衡の結果は、一様ではありません。狙い通りに助け合って成長できたことも当然あります。逆にブランド消失という憂き目もありましたし、さっぱり結果が出ないこともあります。最悪は裁判沙汰の喧嘩別れもありました。ここからは、成功と言える過去の事例、失敗と言える過去の事例を見ていきたいと思います。
統合・合併が「成功した事例」の特徴
ざっと振り返って、大成功だったと言えるのが、「トヨタ×ダイハツ」でしょう。2社の提携は1967年に実施されましたが、同時期に「日産×プリンス」の合併も行われています。プリンス自動車は、あっという間にブランド消失してしまいますが、ダイハツはトヨタとうまく役割分担を行い、安定して成長を続けています。今すぐビジネス+IT会員にご登録ください。
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