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- 2024/01/30 掲載
「専業主婦の仕事=無償」は超もったいない理由、金額にすると分かる衝撃の経済効果
専業主婦というのは日本の伝統ではない
よく知られているように、戦後の日本社会では男性は会社で働き、女性は家事で夫を支えるというのが当たり前の価値観だった。一部の論者は、こうした価値観について日本の伝統であると主張しているが、それはまったくの誤りである。女性が家を守るという社会慣習は、旧士族など一部の特権階級における特殊なものでしかなく、多くの日本人にとって女性が外で働くのはむしろ当たり前であった。ところが戦後の高度成長期に、安い労働力を武器に安価な工業製品を輸出するという経済モデルが成立し、男性がオフィスや工場で長時間働き、女性が家事を担当して家を守るという役割分担が出来上がった。
こうした社会慣習は、工業製品の大量生産を行うという特殊な環境でのみ成立するものであり、すべての時代において一般的な価値観とは言い難い。
欧米各国でもミドルクラス以上など、一部の階層では専業主婦の世帯が存在していたが、1980年代以降、グローバル化やIT化などが進み、市場環境が整備されたことで、こうした世帯はごく一部の富裕層のみに絞られるようになった。東南アジアや中国など新興国の場合、一部の特権階級以外では、全員が働くのが当たり前であり、専業主婦世帯を中核的な価値観に据える日本のような国はほぼ絶滅危惧種になったと考えて良い。
専業主婦という形態がほぼ消滅していることは多くの国民にとって共通認識となっているはずだが、実際はそうではなく、現実と認識の間に大きな乖離が存在している。
さすがに妻がまったく仕事をしないという、完璧な専業主婦世帯はかなり少なくなったものの、相変わらず、家事は女性の仕事と位置付けている世帯は多く、これがあちこちで大きな社会問題を引き起こしている。
日本では男性の育休取得が進まない、あるいは子どもが生まれると、妻が会社をやめるというケースがよく見られるが、これは、(仮に共働きであったとしても)家事や育児が基本的に女性のみに委ねられているという現実を如実に物語っている。
もはや家庭内の役割分担に経済的効果ナシ
仮に夫婦両方が働いていたとしても、本格的な就労をしているのが夫のみで、妻が家事の多くを担っている状況では昭和時代と実質的に何も変わらない。女性の家庭内労働は間接的にしか経済活動に反映されず、日本の経済成長に深刻な影響を及ぼしている。内閣府経済社会総合研究所の試算によると、賃金に換算した家事労働の金額は143兆円となっており、何とGDP(国内総生産)の4分の1に達するという。しかも、これらの家事活動のうち77%が女性によって占められている。
あくまで一定の条件下での試算であり、仮に家事を市場化しても、当該数値がそのままGDPにプラスされるわけではないが、これだけ多くの活動が市場化されず、非公式の経済活動になっていれば、日本経済が伸び悩むのも当然といえよう。
経済学的に見た場合、男女の役割分担には相応の効果がある。
2名それぞれが収益を獲得するよりも、より高い付加価値を得られる方が収益獲得に専念し、もう片方がその業務を支援した方が生産性が高いケースはたしかに存在する。「有能な弁護士はタイピストを雇う」という例え話が有名だが、文書作成はタイピストに任せ、自身はより付加価値の高い弁護士業務に専念した方がトクになるという意味である(比較優位)。
だが、この例え話が成立するためには、両者のスキルや生み出せる付加価値に大きな差があることが前提条件となる。男女の雇用機会や賃金格差が縮小する社会では、両方が収益を獲得し、むしろ家事労働そのものを外注した方が経済効果が高い。現代はまさにそうした時代であり、世帯内で分業するのではなく、家事の一部を市場化した方が効果的と言える。
当該試算における無償労働の内訳を見ると、最も大きいのは炊事で48.1兆円、次いで買い物が28.7兆円、掃除が18.4兆円、育児が15.8兆円となっている。特に炊事の金額の大きさは驚くべき水準と言えるだろう。 【次ページ】自炊を少し見直すだけも絶大な効果が
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