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新政権でデジタル化推進の先兵としてとりあげられたこともあって、コロナ禍で注目を浴びた「ハンコ不要論」がさらなる盛り上がりを見せている。本稿では、金融業務における書類押印の主な利用シーンから、金融サービスでの利用に限定して論点を整理してみたい。
ハンコ廃止論で振り返る、「印鑑の目的」とは
政権が交代し、新たに就任した河野行政改革担当大臣は、全府省に行政手続きにおいてハンコを使用しないよう要請し、業務上押印が必要な場合には理由を回答するように求めた。
この要請が報道されたこともあり、ハンコ不要論が力を得た感がある。前政権時に、「日本の印章制度・文化を守る議員連盟(はんこ議連)」の会長も務めていたIT担当相が、「はんこがテレワークで問題になるのは民間同士の話」とコメントして物議を醸してから半年も経っていないことを考えると、大きな変化である。
もともと、新型コロナウィルス感染拡大とともに自宅勤務が増加した際、押印だけのために出社が必要となるケースがあるということで、デジタル化を阻むものの象徴的な存在として印鑑がとりあげられるようになった。
こうした事象に対して、「日本では長年印鑑が使用され、生活に定着しているので軽々に変えるべきではない」「全国のはんこ屋さんが仕事を失うのは困る」といった点にも議論が拡がっており、やや収拾がつかなくなっている感もある。そこで、本稿では金融サービスでの利用に限定して論点を整理してみたい。
金融業務における書類押印の主な利用シーンは、(1)顧客や取引先との契約や取引に必要な書類のやり取り、(2)公的機関に対する手続きや報告にともなう書類の提出、(3)組織内での稟議や届出などの手続き、などが挙げられる。そして、印鑑を利用する目的は以下に集約される。
・認証手段
契約や取引に際し、押印で本人行為を確認することである。いわゆる「なりすまし」 の排除など、他人の行為でないことが確認できる厳密さも必要とされる。
・確認手段
組織内のビジネスプロセスにおいて、押印によって承認行為を確認することである。「承認」「受領」といった行為の確認で、認証ほどの厳密さは必要とされない。
・装飾手段
「顧客に安心感を与える」「証書の権威付け」「賞状の見た目がよくなる」といったイメージアップのための印鑑利用である。前述の文化論と同様に、本稿ではふれない。
なぜハンコは「認証手段として限界」なのか
技術的な観点からみると、印鑑を認証手段として利用することのリスクは明らかに高まっている。
本人行為の確認は押印された印影と事前登録された印影の一致を見ることで実現していたが、3Dプリンターの精度が高まったことにより、印影さえ入手できれば印鑑の複製が可能となっている。
ある銀行の数年前の実験によれば、印鑑簿から業務用の3Dプリンターを使って作成した印鑑で押印した印影を営業店の窓口で使用している真贋判定機にかけたところ、「真正」と判断されるという結果が出たという。
実験対象としたのは個人の取引印として登録された印影だったとのことであるが、医療分野において毛細血管の再現まで3Dプリンターで可能となっていることを考えると、実印や法人取引印などの複製も技術的には充分可能と考えられる。
また、技術的な面とは別に、本人以外が代理で押印できてしまうことはこれまでにも問題となってきた。超高齢社会の進展により、家族が通帳と印鑑を持ち出して本人の同意を得ずに預金の引き出すといった問題も多く発生しており、金融機関の窓口では身分証明書提示などで本人確認を実施する運用が一般化している。
確認手段として「代替」はあるか?
社内の意思決定や届出などに関しては、紙で証拠を残すことが多く、その際に起案者や申請者、承認者の「本人」がそれを担ったことを示すために署名ではなく押印されているのが現状だ。
印刷した書類を後から手書きで修正した時に押す「訂正印」など慣習としてずっと残っているものもあるが、こうしたプロセスは組織内部の問題である。
経営者が決断して必要な手当てをすることによって電子化や業務の見直しは可能だろう。新政権において印鑑利用の実態を調査している中でも、確認のための押印であれば廃止が可能との方向性が示されている。
「印鑑廃止の目的化」への懸念
デジタル化の議論で心配されるのが、いったん「印鑑廃止」といったテーマが注目されると、それが目的化して、本来解決しようとしていた課題が見失われてしまうという点である。
「印鑑問題」について言えば、「押印」という行為をなくすだけではなく、「認証手段として必要とされる要件を充たしているか」「確認行為の結果が共有できるようになっているか」「業務効率化に役立つか」といった、目的に応じた代替手段の検討と、事務プロセスを見直すことが必要となる。
【次ページ】印鑑廃止へどのように「業務プロセス」を見直すのか