- 会員限定
- 2023/12/14 掲載
功罪相半ばする「ヘンリー・キッシンジャー」とは?米経済の地位を高めた見事な戦略
ドル覇権の立役者
キッシンジャー氏はニクソン政権やその後のフォード政権において大統領補佐官や国務長官を歴任した人物だが、最大の業績はやはり米中和解だろう。冷戦の最中、旧ソ連包囲網を確立するため、中露の分断を利用して中国を米国側に引き寄せることに成功した。中国はその後、改革開放路線に転じ、両国は貿易パートナーという形で相互に経済発展に寄与する関係が長く続いた。大国の現実的なパワーバランスによってのみ世界秩序が決まるという考え方に徹し、場合によっては人権や民主主義がないがしろにされても構わないという価値観を持っていたことから、同氏には常に毀誉褒貶(きよほうへん)がつきまとう。一連の外交方針の是非はともかく、戦後の世界秩序構築に大きな役割を果たしたことだけは間違いないだろう。
同氏については外交面で語られることが多いが、経済や金融の分野においても、外交に匹敵する大きな実績を残している。それは米国によるドル覇権の確立である。
これまで米国が世界帝国として国際社会に君臨できたのは強大な軍事力だけが理由ではない。全世界に張り巡らされたドル覇権が軍事力と同等か、それ以上のパワーを発揮し、これが米国による世界秩序の維持に大きな役割を果たしてきた。そしてこうした鉄壁なドル覇権の土台を作ったのもキッシンジャー氏である。
では同氏はどのようにしてドルの絶対的な支配権を確立したのだろうか。意外に思うかもしれないが、そのきっかけとなったのは、ドルの信用不安とオイルショックという米国にとっては戦後最大の危機であった。
ピンチをチャンスに変えた見事な戦略
戦後の石油ビジネスは、米国の石油メジャーと呼ばれる企業が独占的に支配しており、原油取引も慣例的にドルが使われていた。当然の結果として産油国の資産もドル建てだったが、ここで発生したのが米ドルの信用不安である。米国経済は戦後の好景気に陰りが見え始め、企業の生産性や業績が著しく低下。ベトナム戦争による財政悪化も加わり、米国経済と通貨ドルに対する信用不安が一気に高まった。当時、米国はドルと金の兌換をいつでも保証する通貨制度(金ドル本位制)を採用しており、要求があればいつでもドルと引き換えに金を渡さなければならない状況だった。
ドル不安が高まったことから、ドルの金兌換要求が増加し、米国から大量の金が流出し始めた。危機感を募らせたニクソン大統領は、突如、米ドルと金の兌換を一方的に停止するという強行措置を発動。これがいわゆるニクソンショックである。その後、米ドルは金を基軸にした固定相場制から変動相場制に移行し、ドルの価値が一気に下落した。
産油国はドル建て収入や資産価値が激減することになり、同じタイミングで第4次中東戦争が勃発したこともあり、サウジアラビアを中心とする産油国は、対抗措置として一方的に原油価格の引き上げを各国に通告した(オイルショック)。
米国経済はドルの大幅な下落と原油価格の急上昇というダブルパンチに見舞われ、深刻なスタグフレーションとなった。こうした状況でドルを守るためニクソン政権が選択したのは、米ドルと石油取引のリンクを強化するとともに、世界中に溢れかえったドルを国内に還流させ、ドルの暴落を防ぐ戦略であった。そしてこの一連の戦略遂行を担ったのがキッシンジャー氏である。 【次ページ】こうして原油と穀物、そしてドルは武器となった
関連コンテンツ
PR
PR
PR