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人間は多くの場合、記号や法則・概念などを実体験に結び付けて理解する。多くの場合、創造活動においても同様だ。しかし、真の創造は、実体験に結び付かない理解から生まれる。これを、創造活動ができないと言われるAIに置き換えると何が考えられるだろうか。
「実体験に基づいて理解する」とはどういうことか?
前回の本欄では、「シンボルグラウンディング問題」について述べた。これは、人間やAIが、記号や法則・概念などをどのように認識し、理解しているのか、という問題だ。人間が実体験に基づいて理解しているのに対して、AIは身体を持たないために、そのような理解ができない。このため、さまざまな問題が起こるというのだ。
AIが事実やデータに関して間違った答えを出したり(ハルシネーション現象)、あるいは数学的な推論や形式論理学で間違う場合があるのは、AIがシンボルグラウンディングをできないことに原因があるのではないかという考えがある。
人間がシンボルグラウンディングによって理解していることは間違いない。
たとえば多くの人は、時刻を認識するのに、アナログ型の時計を思い浮かべる。つまり、正午は、短針が真上を向いている時刻。そして夕方は、短針が下を向いている時刻だ。また、たとえば受験で残り時間を見る場合に、アナログ型の時計を見て、「あと15分」というように認識している。
ここで重要なのは、デジタル型の時計だと、このような認識ができない。あるいは難しい。
たとえば、講演を予定通りの時刻に終了させるためには、残り時間をいつも把握している必要がある。ところが、デジタル型の時計を見ても、すぐにピンと来ない。数字が並んでいるだけだからだ。
だから、たとえば12時に終わらせるべき講演で、いま11:43という数字が出ていれば、「12:00-11:43=17だから、あと17分」という計算をしないと、残り時間を把握できない。講演で話しながらこの計算をするのは、決して簡単なことではない。
これに対して、アナログ型の時計では、見た瞬間に、計算をしなくとも、どのくらいの時間が残っているのかがわかる。これは、人間が時間を、アナログ型の時計の針の位置という形でグラウンディングしているからだろう。デジタル型の時計に現れる数字だけでは、時刻や残り時間を正確に把握できないのだ。
さまざまな道具がデジタル化される中で、時計については、依然としてアナログ型の時計が多く使われている。これはこうした事情によるものと考えられる。
実体験に基づく理解が「適切」とは限らない
では、シンボルグラウンディングは、どんな場合にも優れた方法なのか? そうとは言えないと思う。
たとえば、方角の認識だ。多くの人は、方角を認識するのに、自分の具体的な経験と結びつけている。たとえば、道案内をするのに、「地下鉄の出口を出て右側に行く」というように説明する。あるいは、「玄関の右側にきれいな花が咲いている」という。右か左かで方角を表しているのだ。
ところが、当然のことながら、左右は、自分自身がどちらを向いているかで逆になる。仮に地下鉄の出口が2つあり、1つは北向き。1つは南向きであるとすれば、先ほどの指示では、どちらの出口から出るかによって、まったく逆になってしまう。
方角については、このようにシンボルグラウンディングによって自分の経験と結びつけるのではなく、地図を頭の中に思い浮かべ、抽象的な概念として、西とか東とかいうように理解すべきだ。だが、なかなかそれができない。
だから、シンボルグラウンディングが必ずしも適切な認識の方法とは言えない。もっとも、方角の場合には、「太陽が出る方向が東」といった認識の仕方もある。これは、実体験にリンクした正しい認識だ。
だから、グラウンドさせるのが良いとか悪いということではなく、グラウンドのさせ方が問題ということかもしれない。
またこの問題は、「人間は、グラウンドさせずに、抽象的な概念や記号、あるいは法則を理解することができるのか?」という問題として考えることも可能だろう。人間は、実体験から離れた概念を考えることができるだろうか? それは、どのような意味を持つだろうか?
【次ページ】AIは本当に「真の創造」ができないのか?
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