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- 2019/09/19 掲載
「日本の金融は、自らが次代のプラットフォーマーとなれ」20年越し、JSOL江田氏の執念
FinTech Journal創刊記念インタビュー
日本の金融機関は「大量かつノイズの少ないデータ」を保管
特徴かつ長所の一つだと思いますが、日本の金融機関は、内部に大量かつノイズの少ないデータを保管しています。たとえば、銀行が保管しているお客さまの入出金明細もその一つです。ところが、この財産は長い間眠った状態で、利用は限定的でした。現在、劇的にAI(人工知能)などの数理技術が進歩し、計算コストが下がったことで、過去から蓄積されたデータが、莫大な価値に転換しうる時代に入っています。他国の金融機関や他の産業、とりわけGAFAのようなプラットフォーマーにとっては、垂ぜんのデータだと思います。
ただし、金融機関にとって、この長所を活かせるモラトリアムは長くありません。デジタルデータとその供給者は増加の一途で、アグリゲーターはそれらを吸引しながら重力を増してきています。SNSなどのデータは、今のところ単体では質量は軽くて弱い吸引力しか持ちませんが、異種混合に重元素が合成されはじめると、2年程度内に、巨大なデータプラットフォーマーが出現するかもしれません。
金融機関は、オイシイデータの供給者としてわずかなフィービジネスを志向するのか、自らが既存の資産を活かしてブラックホールとなるのか、そんな岐路に立っているように思います。
もう一つ、日本の金融機関の長所は、大量に優秀な人財を抱えていることです。こちらの財には、短期間で他者がキャッチアップできない価値が具備されています。データがインテリジェンスに転換された後、それを実現するのは、人間です。金融機関にプラットフォーマーのポジションを期待する理由がここにあります。
次世代のデータプラットフォーマーに求められる矜持
次世代のデータプラットフォームは、特定少数の利権者に富が傾注するために存在するのではなく、広く平等に挑戦機会を提供する場であってほしいと思います。私は20年前まで銀行に勤めていました。1998年に銀行からITへ転職をしたのですが、当時は、大手の金融機関が破綻していった時期です。
その頃、私は新規の企業融資担当でした。当時の審査はかなりアナログな世界で、人的リソースに依存していたと思います。繁忙期になると不眠不休で融資稟議書を作成し、決裁を得るための行内調整に明け暮れる日々でした。『半沢直樹』ほど刺激的だったかは分かりませんが、休日に融資の直談判に訪ねてくるお客さまもいましたね。
絶えず業務の期限に追われる中、客観情報を確認することに精一杯で、お客さまを深く理解することは、まったくできていませんでした。
当時は、仕事に忙殺されているのに、本当に資金を必要とする相手への融資ができない状況です。私自身の力不足もあったと思いますが、誰でも貸せる相手に資金を回しているだけなら、金融に人間が介在する意味はないと考えるようになりました。
まずは、本来人間が向き合うべき活動に労力をシフトさせることが必要です。言い換えれば、人間性を必要としないプロセスは、徹底的にシステムへ移行すべきです。現代風に表現すれば、「AIに仕事を奪ってもらえ」ということでしょうか。そんなテーマを抱え、転職をしましたが、以降20年超、常に志向していたのは、「人間力が求められる金融システム」の開発です。
ちなみに、銀行を辞めてから分かったのですが、銀行員は財務分析に関する一定の知識を有していますが、仕入・製造・販売のようなベーシックな経済活動を自らは経験していません。限定的な商圏でわずかなメンバーだけが事業企画を行っています。規定の指標にないチャンスやリスクを、評価するのも苦手です。若手の金融機関勤務者に、今後、金融財以外のビジネスに直接触れる機会が増えることを期待しています。
銀行は、長きにわたり、間接金融の担い手として、経済成長に大きな役割を果たしてきました。しかし、総合商社が仲介機能を超えて役割を拡大していったことと比べ、銀行のスプレッドビジネスは、付帯の価値提供に至っていません。
金融経済から数理経済への移行期の今、銀行は、生産性の低い業務をAIに全面的に移行し、新しいインテリジェンスを活用しながら、お客さまの現場で多くのイノベーションを起こしてほしいと思います。
行政も金融機関に理想を要求するのであれば、他者同等の挑戦を認めてこそフェアです。監督する相手が、いなくなってしまわないように、一定のリスクを取ることも重要です。官民さまざまな検討がなされているようですが、業界閉鎖的なデータベースを構築し、IT系ブラックホールにデータをそそぐための如雨露(じょうろ)にならないよう気を付けていただきたいと思います。
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