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  • 2017/02/27 掲載

iPS山中氏・羽生三冠・東大 五神氏・孫社長が、AI時代到来前に伝えたいこと(全文)

シンギュラリティでどう変わるのか?

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2月10日、「未来を創る若者たちへ」と題した対談イベントが行われた。登壇したのは、本イベントを主催した孫正義育英財団の代表理事で、ソフトバンクグループ社長の孫正義氏、同副代表理事で京都大学 iPS細胞研究所 所長の山中伸弥氏、同理事で東京大学 第30代総長の五神真氏、同評議員でプロ棋士の羽生善治氏。人類がこれからシンギュラリティ(技術的特異点)を迎えるにあたって、若者たちはどのような未来を見据え、いま何に取り組むべきなのか。それぞれの知見や経験をもとに大いに語り合った。
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(右から)ソフトバンクグループ代表取締役社長の孫正義氏、京都大学 iPS細胞研究所 所長の山中伸弥氏、東京大学第30代総長の五神真氏、プロ棋士の羽生善治氏

山中教授が「登る山」を決めた一つの実験

孫氏:先生方、ありがとうございます。本日は小学生になる前の方もたくさん来てくれているのですが、まだ若い優れた彼らが将来大人になって、その優れた知能をどう使っていくのでしょうか。

 僕は登る山によって人生の半分ぐらいが決まるという言葉を発したことがあります。人生って高い高い山登りみたいなものだと思いますが、いったん登りはじめたらなかなか帰りにくいですよね。

 自分の情熱、自分の人生を何に使うんだろうというのを決めることによって、人生が本当に決まってしまうんですね。そういう意味で先生方に、いつ頃から今の自分の人生を、何歳ぐらいのときにどういうきっかけで思われたのか。そして、その道を選んでよかったと思うのか。その辺も含めて、お聞きしたいと思います。

山中氏:僕は今、研究者ですけど、研究をやろう、研究者になろうと思ったのは相当遅くて、もう20代の後半でした。

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京都大学 iPS細胞研究所 所長の山中伸弥氏

 最初、高校生ぐらいのときは、医者、臨床医にすごくなりたいと思っていて、医学部に入ったんですが、大学の間はすごくはっきりしたビジョンがあって、それは整形外科医でした。

 しかも、去年はリオオリンピックがあって、2020年には東京でもありますが、スポーツ選手が必ずスポーツをしていると怪我をしたり、走り過ぎて足を痛めたりというのがあると思います。整形外科医の中でも、そういうスポーツ選手を専門に診療して、またスポーツ現場に復帰してもらう、スポーツ医学というんですが、そういうものにすごく憧れて医学部に行きました。自分もスポーツをすごくやっていましたから。

 で実際に整形外科医になりました。整形外科医の道を歩み出したんですが、このままずっと臨床だけをやっていたら、ちょっとやっぱり知識が偏るというか、考え方が偏る、また臨床医学だけでは治せないような脊髄損傷とか、そんな患者さんもいて、すごく研究に興味を持ちだしたんですね。

 ただそれは、医者になってすぐですから、25~6歳のときですが、そのときは研究に進むか、もとの臨床にいるかっていうのは、まだはっきり決まっていませんでした。ところが研究についても勉強しようと思って大学院に入って、そこでやった最初の実験、これがそのあとの運命を決めてしまいました。

孫氏:最初の実験ですか。

山中氏:最初の大学院生になってはじめてやった簡単な実験なんですが、結果は予想と正反対のことが起こったんですね。

 そのときの自分の反応が、自分でも予想外だったんです。正反対の結果を見て、がっかりしてもよかったと思うんですが、僕はすごく興奮したんですね。なぜ予想と反対のことが起こるんだろうと。

 自分でも予想をしない反応を示してしまって、その瞬間に自分は研究者に向いているんだなと。臨床をやっていると、そういうことを覆ったらとても困るんですよ。患者さんに効くと思った薬が効かなかったら大変ですから。

 一方で、研究ではむしろそういうことがいっぱい起こった方が楽しいといいますか、結局その実験がそのあとの僕の人生を決めたと思います。そのあとも紆余曲折はありましたが、ずっと研究をやっていますから。でも遅かったです、20代後半。

情報が溢れる中で「どうやって人と違うことをやるのか」は難しい

孫氏:小学生ぐらいのときは何になろうと思っていたんですか?

山中氏:小学校のときはですね、はっきりしたのはなかったと思います。父親が小さな町工場をやっていまして、僕はその工場のとなりであったり、あるときは工場の上に住んでいたりしましたから、そういう機械に囲まれて、父親はエンジニアでしたので、なんかやっぱり小さいときから機械というか、ものづくりというか、そういうのに興味があったのは間違いありません。

 で、大学は医学部でしたが、ちょうどコンピューター、パソコンを僕らも少しずつ使いだした頃、さっきのチップの100万倍という話ではないですが、僕が大学生のときですから、今から四半世紀、25年前ですから、ベーシックという当時は言語でしたけども、作ったプログラムをどうやって覚えさせるかというと、テープなんです。

 みんな信じられないと思いますけど、本当のテープで、そこに覚えさせて、それをもう一度コンピューターに取り込むと音がするんですね。「ピーー、ポ、パ、ポ」という音が人の作ったプログラムの記録です。

 で、父親が在庫管理を最初ノートでやっていて、それが大変だということで、僕も何か親孝行しようというので、ベーシックで一生懸命、在庫管理のプログラムを作ったのが最初のコンピューターとの出会いです。

孫氏:何歳ぐらいでした?

山中氏:20歳ぐらいです。最初テープだったんですけど、その次はフロッピーディスクになりました。「随分すごいな、これは」と思いました。

 医者になったときにはハードディスクが出ていまして、これが確か5メガバイトとかそれぐらいで。20万円ぐらいしたのですが、研修医の2カ月目の給料をはたいて、その5メガバイトのハードディスクを買ったら、周りの人が「山中先生、これ、一生使えるなあ」と、「こんな大量のディスクをどうするんだ」と言われたんですが、もうぜんぜん足りなくなりました。

 コンピューターの進化っていうのはちょっともう信じられないですね。だから、今のみんなは大変な時代に住んでいるなと思います。

 僕がみんなと同じぐらいのときは、コンピューターもないですし、インターネットもないですし、ぜんぜん違う感覚の中で、情報量もぜんぜん少なかったですし、世界の情報もまったく入って来ませんでした。そういう意味で今はすごくみんなは恵まれていますし、逆にその中でどうやって人と違うことをやるのかというのがとても難しい時代であるのも確かだと思います。

変なものを作ると大人が「異常に褒めてくれた」経験

孫氏:ありがとうございます。五神先生どうですか?

五神氏:“登る山の決め方”というテーマですが、私はいつ山を見定めたかというのが、なかなか思い浮かばないんですね。

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東京大学 第30代総長 五神 真氏

 小さい頃はものを作るのだとか、絵をかくのだとか、粘土細工をしたりだとかするのが好きだったんですが、なんでそんなことを好きになったのというと、歩いて5分ぐらいで行けるところに彫刻家の先生がアトリエを持っていたんですね。

 その先生は抽象的な彫刻を作る先生だったので、彫刻が売れたりすることはなく、たぶんものすごく奥様は大変だったんじゃないかなと思うのですが、そこに行くとその先生の仲間が集まって、いつも楽しそうにものを作っているのです。

 そこに近所の子供たちが集まって、プロの彫刻家が使うような彫刻刀とかいろんな道具を自由に使わせてくれるようなところだったんです。

 たぶんうちの親は情操教育だと思って、そこに出入りするようにしたんだと思うんですけど、先生はそういう方たちなので何も教えない。好きにものを作る。

 皆さんは、皆さんが作ったものを周りの大人が異常に褒めてくれる経験を持っているんじゃないかなと思います。変なものを作ると、普通の人から見ればそれは何の意味も持たないものなんですけど、彫刻家の方たちのような感性がある人たちが見ると、感動してくれるんですね。

 で、私は子供ですから、すごいことをしたんじゃないかという錯覚を起こすんです。私は絶対、芸術家になろうと思っていたわけです。そう思っていたんですが、だんだん次第に育ってくると、やはり生まれながらの才能というのが合致しているのかというのがわかってきます。

 美術とかそういうものは好きだったんですが、これで一生食べられるわけではないなということに気がつくのが、中学、高校ぐらいでした。

本当に新しいものは必ず役に立つ

五神氏:で、その頃他に何をしていたかというと、たまたま父もエンジニアだったものですから、当時はアマチュア無線とかが流行っていて、無線に凝っていて、それで友達と一緒にアンテナを立てて、通信をしたりとか。

 高校時代には顧問の先生に、「雷が落ちるから絶対にやめてくれ」と言われて、でもそれを無視してみんなでテントを張って通信したりしていたんです。

 そのときに電波の伝わり方とかそういうようなことを、子供ながらに、高校生ですから少し本を読んだりもするなど、そういう物理現象に結構興味を持っていたんです。

 ただ大学に入ってみて専門で何かをやろうといったときに、いわゆる理学として真偽の探求をするということと、人々の役に立つことと、どっちが大事だろう?というようなことを、しきりに悩んでいたんですね。

 私がつとめる東京大学というのは、理科Ⅰ類、Ⅱ類というのがあって、入ったあとで自分の進路を選択することができる。それ自身は非常に良いシステムだと思うのですが、高校時代は数学・物理などを非常に好きになっていたので、理学部の物理とか数学をやりたいなという気持ちがあったのですが、でも社会から切り離されてしまうということに少し不安がありました。

 それでそのときに東大のいろいろな先生方に聞きに行って、ま、一人で行くわけですね。大学というのはちょっと敷居が高いように思うかもしれませんが、自ら戸を叩くと先生たちは喜んでいくらでも話をしてくれる。

 そのようなことをしていたら、「心配しなくていい。本当に新しいことは必ず役に立つから」と言っていただき、その例としてあげたのがトランジスタとレーザーでした。トランジスタは孫さんのお話にもありましたように、コンピューターというものを生み出して世の中を一変させた。

 そういうようなことが頭にあって、進路を決めるっていう時に、芸術的なことにも興味があったので、大学2年生ぐらいまで悩んでいました。

光をあてると、ものが温まるのではなく冷えるという現象

五神氏:しかし、あるきっかけがあって物理学をやろうと、特に光というのがどういうものかっていうことを理学として理解したいなと思ったんですね。

 一年生のときに相談した先生から「たとえばトランジスタとかレーザーとか」という言葉が頭にずっと残っていて、「そうだ、レーザーを使って光の研究しよう」ということで、研究室に入りました。

 私が大学院の修士で研究室に入ったのが1980年なのですが、レーザーは1960年に発明されているのです。ですから、発明されて20年経っているので、もうレーザーというもの自身は、実験室にはちゃんと製品があるというような状態でした。

 しかし、当時、光の強さで20ワットぐらいのレーザー光を出そうとすると、30キロワットぐらいの電源を使うような状態でした。

 ですから、強いレーザー光でいろんな面白い実験をしようとすると、まず大きな電源を用意して、それから30キロワットの電源を使います。ものすごく熱が出るので、レーザーを冷やす装置を作ります。大きいレーザーを使うと横に温水プールができるというわけです。

 特に興味を持ったのは、光をあてることによって、ものが温まるのではなくて、ものが冷える現象というのがあることです。それを使ってすごいことをやりたいとずっと思っていて、それは今でも続いています。

 総長をやりながら、すぐ近くに実験室があるのですが、ときどき気になって仕方がないときがあるという生活をしているわけです。

 大事なことは、30キロワットの電源に対して、20ワットの光を出すという当時のレーザーが、私が大学に入った1980年頃はそういうものだったのですが、今は10ワットのレーザーを出そうと思えば、20ワットの電源があれば十分なんです。

 一番効率の良いものでいえば、今はもう80%以上の電気を使えるのです。ということで私がずっと研究してきたレーザー光を使って、その夢だったことが現実になるかもしれない。

 つまり、普通の光とは違った強い光、あるいは特殊な非常に綺麗な揃った光を用意できるのですが、それをあてることによって物質の反応がぜんぜん違うってことがわかってきています。

 そういうものが、たとえばそれで、いま流行りの3Dプリンターなんかも画期的なものを研究生がいま開発していますし、まあそんなようなことをやっている。私がいまやっていることは、非常に応用に近い研究も多いのですが、やっているのは理学部でやっていることです。

アルミと鉄をつなげて、ネジを使わなくても機械が作れるかもしれない

五神氏:人が使うということと、原理を解き明かすっていうことは、実はあまり境界がありません。でも、いろいろな進歩の中で、今までぜんぜんできなかったようことが、できるようになっている。

 一つだけ簡単な例を紹介すると、たとえば、ガラスと金属をくっつけることができるようになっています。接着剤でつけるのではなく、それをきちんと接合をさせるためには、ただ温めても、両者は溶ける温度がぜんぜん違うのでくっつかない。

 しかし、そこに特殊な光、よく考えてコントロールされた光をあてると、これが接合できるわけです。場合によっては、アルミニウムと鉄を繋ぐことができるかもしれない。

 それは温めても繋がらないということは物理学的な考察でわかっているわけですが、そこに特殊な光をあてるとくっつくかもしれないということが、これは理論物理学を駆使した計算などでわかりかけているんです。

 あまりこういうところで公にはできないですが、論文書いていることもあるので。ただ、そうなるとネジを使わなくても機械が作れるかもしれない、というようなことになります。実に画期的ですよね。

 機械って壊れるとき、だいたいネジのゆるみが原因ですから。そんな風にワクワクすることが次々に出てくる。そういうわけで、私はまだ山が本当に見えているのかどうか。今やっている総長の仕事も大事ですごく面白いですが、その先に何をしたいかなっていうことを、いろいろ考えながらやっているという状況です。

 そういうワクワクするものが学問の中にはあるので、ぜひここに集まっている多くの皆さんに、そういうところに飛び込んで来てほしいなと思っています。

弱すぎた幼少期、なぜ将棋を続けたのか

孫氏:今でもワクワクが止まらないんですね。素晴らしいですね。羽生さんはいかがだったでしょうか。

羽生氏:“登る山の決め方”ということで、私が最初に将棋に出会ったのは6歳のときなんです。ただ、別にそれで将来を決めようということではなくて、野球をやったり、サッカーをやったり、ラジコンをやったり、ダイヤモンドゲームをやったり、私が子供の頃にいわゆるよくやる遊びの中の一つとして、たまたま将棋があったのです。

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王位・王座・棋聖の羽生 善治 氏

 親は実は将棋はささないので、毎日遊びに行っていた同級生の友達がいて、その友人が将棋やろうということで、ただ一番最初は金を4つ使う回り将棋とか、フを横に並べて取ったりするはさみ将棋とか、本当にその駒を使って遊ぶものとして、将棋に出会ったんです。

 しばらくしてその友達とは将棋はやらなくなって、違うことで遊んでいたんですが、半年ぐらい経って地元の大会があるということで出かけて行って、その友達には勝てるようになっていたので、そこそこ将棋は強いのかなと思っていたら、簡単に負かされて。

孫氏:負かされたんですか?

羽生氏:はい、簡単に負かされて、予選落ちしました。1勝2敗です。

孫氏:予選落ち(笑)。

羽生氏:で、はじめてそこで将棋の道場というものを知ったんですね。普通は段とか級とかがあって、一番下の最低の級が八級なんですが、その席主の人たちが、あまりにも私が弱いので、八級では無理だから十五級ぐらいはじめたらと。十五級ではじめても弱すぎて、たぶん最初の1ヵ月間、2ヵ月間はまったく勝てなかったんです。

孫氏:そうなんですか?最初からもう強かったのかと。

羽生氏:いや、最初はすごく弱かったんです。どうして私が将棋の道場に通っていたかというのは、一つ理由があって、街から少し離れた場所に住んでいたので、週末になると家族で町の方へ買い物に出かけるんです。

 子供がついてまわっていると買い物するのにいろいろ大変なので、3時間とか4時間とか買い物をしている間に私は将棋道場で将棋をいっぱいさして、買い物終わる頃に迎えが来て、帰っていくっていう形だったんですね。

 ですからその3時間とか4時間の間に、できる限り、いっぱい将棋をさして、一回はじめて勝ったときに、席主の人から十級に、まあもともと八級からしかないんですが(笑)。いきなり5段階もあげてくれて、それから将棋ってすごく面白いなということで熱中して、続けていったということがありました。

 ただ、将棋のプロになるというのは、奨励会という養成学校に入らないといけないんですけど、それは十代のときに入りました。私のキャリアで師匠のところに入門したのが、小学校5年生の11歳のときなんですね。

 小学校5年生なので、そのときに、これでじゃあ棋士を目指そうとか、名人になろうとか、対局をとろうとかっていう、そういう志とかはまったくなかったです。ただただ、好きな将棋を続けていけたらいいなという、そういう気持ちで入りました。

 ただ、奨励会というところに入ると、今まで道場とかだと6歳ぐらいの子供から年配の人まで幅広い人たちが対局をしていて、もちろん勝負はつくのですが、和気あいあいとしているんです。

 それがプロを目指す養成機関に入ってしまうと、年齢制限というものがあって、ある一定の年齢になるまでに、ある一定の段を取らないと辞めないといけない。

 だから、ものすごくお世話になって人とか、同期の人とかがどんどん去っていくんです。中学一年生ぐらいのときに、いくら遊び半分というと語弊があるんですが、気楽な感じで行ってても、そういう本当に真面目な感じで落ち込んでいる人たち、実際にそういう人たちが去っていく姿を見ていると、やはりこれは一生懸命やらなきゃいけないなと、本当に真剣に努力してやらなきゃいけないなということは思いました。

 で、実際にプロになったのが中学3年生だったので、学生なんですけど社会人という形でした。そのときにすごく印象的なことがあって、15歳とか16歳でプロになって、対局って夜遅くまでになるんですね、たとえば夜の12時、1時ぐらいまでになって。

 そこからまた感想戦みたいなものを行って夜中の3時とかそういう時間帯に、十代のときでもなったりしたんです。

 で、もちろん電車とかはなくなっているので、始発が出てくるぐらいの時間帯になって電車に乗ってバスに乗って、うちに帰るんですけど、そうすると帰ってくるときにたくさんの人がこれから通勤とか通学とかで道を行くわけですね。

 私はその反対方向に帰っていくというときに、完全に道を踏み外したっていう感覚が、他の人とまったく違う場所の、違う山に登りはじめてしまったんだなということを痛感した瞬間だったんです。ただもうそれは、自分の意志で選んでしまったので、それはそれで行くしかないっていうことも思いました。

 あとこういうこともよく思っていたんですが、高校生ぐらいだとこれから先、進学をするのか働くのか、さまざまな進路があって、結構周りの人たちは真剣に悩んでいる。で、私はその悩んでいる姿を見て、いいなあ、羨ましいなあと思っていたんですね。

 つまり、その高校生の時点では、進む道は決まっていて、もちろん後悔はしていないのですが、なんかそういうことを悩んだり、迷ったりするっていうことはしたかったなあっていう気持ちは持ったりしました。

褒められる体験、成功体験が原動力となる

孫氏:なるほど。いや本当に3人とも面白いと思うのですが、印象的なのは、3人ともここまで立派になられて、そのプロセスの中で、やっぱり落ち込んだり、実験して失敗したから興奮したっていうね。

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ソフトバンクグループ 代表取締役社長 孫 正義 氏

 でも僕思うんですけどね、褒められるということってものすごくエネルギーになっている気がするんですね。僕自身もそうですが、やっぱりうちの父親が、超がつくぐらいの親バカなんですね。もう、恐ろしく褒めるんです。

 5、6歳のときは、なんか一つしたらそれだけで、しょうもないことでもですよ、「1+1は?」って言って「2」って言ったらそれだけで、ワーっと椅子から転げ落ちるようにして、「お前は天才だ!」っていうわけですね。

 今思えば、極端に、その、まあ表現のしようがないですが、でもそれを心の底から言っているんですよね。そうすると、親に褒められるということは、やっぱり嬉しいから、もう一度その喜びを感じたい、そこへの脳の快感がより強化されてくるわけです。

 難しい実験に失敗した、そこからもう一回なにくそということで、成功したときはやっぱりものすごく嬉しいわけでしょ?失敗したとき以上に。

山中氏:本当に、まさにそのとおりで、褒められるといいますか、さっきの僕の最初の実験が正反対で、その予想を立てたのは僕じゃなくて先生なんですね。

 要はその、先生の言ったことがまったく嘘で、まったく逆だったんですが、それで僕は興奮したんですが、僕が非常にラッキーだったのは、その先生も本当に素晴らしい人で、自分の結果が正反対、普通だったら怒り出してもおかしくないのに、その先生は僕と一緒に「おお、面白い!」って興奮してくれたんです。

 それがなんか、自分だけ興奮して、その先生がシラッとしていたら、俺って変わってるのかなって思ったかもしれないんですけど、一緒に喜んでくれてたと。

 その話は日本での話なんですが、実はアメリカに行ったときもボスの仮説を試すために実験したんですが、それまたぜんぜん違うことが起こって、そのときも僕は興奮して、アメリカの先生も一緒に喜んでくれたんですね。

 だから、エンカレッジメントといいますか、あれがなかったらもう研究、研究って成功より遥かに失敗の方が多いので、野球だとイチローさんとか3割打てば成功、4割打ったら超スーパースターなんですけど、よく考えたらイチローさんでも6割はヒットを打てないわけです。

 実験というのはもっと成功率が低いので、たぶん平均だと1割以下、2割、要するに10回やって2回成功したらすごいですので、3割とか割り出したら、「お前大丈夫か?」と言われます。

 ほとんどが失敗ですから、その失敗のときにどうエンカレッジしてくれる人、そして成功したその1割のときに一緒に喜んでくれる先生、この存在がないと研究というのはやってられません。

どういう新しい実験をやるのかずっと考えていた

孫氏:やっぱり五神先生も成功したときはものすごく嬉しいですか?

五神氏:そうなんです。今思い出すと、修士の1年のときに、与えられたテーマではあったんですが、そこでどういう新しい実験をするかっていうのを毎日ずーっと考え続けていたんですね。

 あるとき、ぜんぜん違う先生の講義を聞いていて、それをヒントに授業中に思いついた実験があって、それを自分でやってみたんです。まだ修士の1年なので実験は下手なんですけど。

 ところがその自分でデザインした実験がうまくいったんです。で、ものすごく興奮して、それがあまりにも興奮したので、私はそのテーマで博士号を取りました。

 今から思うとこれは完全なるビギナーズラックで、それが実験家としてはまだよちよちな、下手な実験にもかかわらず、思ったとおりの結果が出るというのは、いくつものラッキーが重なった、そのとき、たまたま出会ったことと、それを自分自身で思いついたという興奮で、研究の面白さにぐっと引き込まれたんです。

 それがなかったら、私は今ここにこうしていないと思いますし、ぜんぜん違う人生を歩んでいる可能性が高いと思いますね。

孫氏:やっぱり脳の興奮するのってやっぱり強烈なエンカレッジということですね。で、羽生さんも最初弱くて負けてばっかりで、最初に勝ったときって興奮したでしょ?

羽生氏:そうですね。というか、どうやって将棋が勝てるかっていうことが、そもそも知らなかったので、こうやったら詰んで終わりというのは何カ月も経たないとわからなかったというのはあります。

 十代のときにすごく強烈だったことは、将棋の世界だと、江戸時代に作った詰め将棋の難しい問題集が200題あって、それを基礎的なトレーニングとして解くっていうのが練習であったんですね。それが一番短いので11手詰めで、一番長いので600ぐらいかかる詰め将棋なんです。とにかく1日で1題解ければラッキーで、1カ月解けないとかはざら。

孫氏:1カ月も解けないのですか?

羽生氏:1カ月解けないのはざらなんです。で、たぶん200題解くのに7年ぐらいかかっているんですけど、どうしてそれを続けられたかというと、それを解いたときの手順の芸術性が素晴らしいんですね。

 よくこんな作品を、つまり完全な作品として、しかも江戸時代なので遥か昔の人たちが作りあげたなあっていう、その精巧さとか、よくこういうアイデアとか発想をちゃんと一つのルール、制約の中に作ったなあというがずっと続いてきていて。

 だからその時間帯としてはすごく苦しいとか葛藤しているとか、わからないという時間が、最後のこれが解けたとか、わかったときに、その作品が本当に素晴らしくて芸術性の高いものだとわかったっていう、そのほんのわずかな、ほんのちょっとした時間のために、時間を費やすことも苦にならなかったということがあります。

他者との共感が本質的に重要になる

孫氏:やっぱり僕が本当に思うのは、人間の脳の働きって何だろう?と思うんだけども。

 我々が物事をやりたいとか、何をするかにをするというのは、いったい脳は我々に何を命じているのか。で、その脳はどうしてある物事を考えたり、意思決定をしたり。最終的に集約していくと、脳は快を感じたい、人間の脳というのは脳そのものが快を感じるためにいろいろな物事を決めたり、意思決定をしたり行動していると。

 食事をして美味しいと思って快を感じる。眠たいときに眠って、スッキリしたと思って快を感じる。将棋に勝った、実験に成功した、ビジネスに成功した、何か成功した、数学が解けた、そのときに何か脳が快を感じる。

 快感の極致は興奮ということになるんでしょうかね?何か脳が快を感じて、しかもそれで興奮をして、周りからも褒められることによって、さらにそれが快感になる、究極のところまで登り詰める。

 それが忘れられなくて、もう一回それをやろうとする。で、結局その道を極めていくということなんですね。やっぱり僕は、興奮するということはものすごく大事なことだと思うんですね。

 その結果、その快感を分かち合う人たちがいて、さらにそれが嬉しくなってくる。だから、自分の人生を振り返って、一番自分は快を感じたのか? それが変換点になって、人生が決まったという人が多いんじゃないかと思うんですね。

 もしそれが、そういうことがなくて、単に惰性で親がやっているからとか、たまたま行き当たったからという形で、十分に悩まずに、十分な快を感じずにただなんとなく惰性でいった人というのは、なんかこう惰性的な人生を過ごしている人が多いんだろうけどもね。

 やっぱり何か極めていっているのは、極端に悩み、極端に失敗し、で、そこから極端に快を感じて、それをどんどん極めていくことだと思うんだけど。自分が単に満たされること、ピアノ買いたい、車を買いたい、美味しいものを食べたい、自分の快を単に感じることって喜びの度合いがなんか小さい気がしますね。

 それは家族も快感、喜びを共有してくれたときは嬉しかったかもしれない。家族だけじゃなくて職場の仲間だとかも一緒に快を感じてくれたときは、もっと興奮する。今度は自分の職場の人とか、家族だけではなくて、見も知りもしない人たち、世界中の自分が想像も会ったこともないような人まで含めて、あるいは後々の世の人たちで含めて、ものすごく多くの人々が一緒に喜んでくれたときに、自分の興奮というのは、もっと高まると思うんですね。

 やっぱり僕は、ここには本当に若い一般的な人より遥かに優れた知恵と能力がある人たちが来ているので、皆さんが自分が一番最高に快を感じるのは、自分自身の身近なものというよりは、もっと多くの、世界中の人々、100年後、200年後の人々にまで感謝される、喜んでもらう、そのときの本当に実はもっと喜びを感じるんだということをぜひ覚えていただきたいなと。

 今は親とか周りだけかもしれないですね。そういう風に役立つ人になったときに、自分自身が一番幸せを結果感じるんじゃないかなと思っているんですね。

山中氏:私もそのとおりだと思っています。

 脳の働きの中で快を感じるタイミングで、やっぱり他者との共感というものが本質的に重要になる。一人だけで何かができるということではなくて、やっぱり多くの人に喜びが伝わるという共感力ですね。

 そういう中で、より高度な脳の働きが出てくるという、それが人々の役に立つということになるかもしれないし、人類全体に対してどういう風に自分が働けるのだろうか。

 そういう共感力を、たとえば物理の問題を解いていて、難しい問題が解けたときは嬉しいわけですが、解けたときに友達に披露して、一緒に感動してくれる友達がいたらもっと楽しいわけです。

 それを論文に書いて、多くの人に読んでもらいたい。やっぱりそういう共感を広めていく中で、脳の働きがどんどんレベルが上がっていく。そういうものが社会を良くするために頭脳をどう使うかっていうところに繋がるんじゃないかと思います。

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