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  • 2024/03/19 掲載

マイクロソフトCEOナデラ氏が重視する「3視点」、就任から時価総額10倍にできたワケ

連載:企業立志伝

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マイクロソフトの躍進が止まりません。1975年に創業した同社は1990~2000年代に「Windows」で業界の圧倒的な覇者となりますが、アップルが2007年にiPhoneを発売して以降、モバイル革命に乗り遅れ「過去に繁栄した企業」となりつつありました。しかし、2024年1月には時価総額が初めて3兆ドル(約440兆円)を超えるまでの大復活を遂げたわけですが、ここに至るまでには、3代目CEOサティア・ナデラ氏の活躍があります。CEO就任から10年で企業価値を10倍にし、眠れる獅子を完全復活させたナデラ氏の半生から「成長に必要な視点」を学びます。

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

経済・経営ジャーナリスト 桑原 晃弥

1956年広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者を経てフリージャーナリストとして独立。トヨタからアップル、グーグルまで、業界を問わず幅広い取材経験を持ち、企業風土や働き方、人材育成から投資まで、鋭い論旨を展開することで定評がある。主な著書に『世界最高峰CEO 43人の問題解決術』(KADOKAWA)『難局に打ち勝った100人に学ぶ 乗り越えた人の言葉』(KADOKAWA)『ウォーレン・バフェット 巨富を生み出す7つの法則』(朝日新聞出版)『「ものづくりの現場」の名語録』(PHP文庫)『大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ』(ビジネス+IT BOOKS)などがある。

大企業立志伝 トヨタ・キヤノン・日立などの創業者に学べ (ビジネス+IT BOOKS)
・著者:桑原 晃弥
・定価:800円 (税抜)
・出版社: SBクリエイティブ
・ASIN:B07F62BVH9
・発売日:2018年7月2日

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マイクロソフト再生の立役者、サティア・ナデラ氏の半生に学ぶ
(写真:AP/アフロ)

ナデラ氏の基礎、クリケットで学んだ「人生の3原則」

 サティア・ナデラ氏は1967年、インドのハイデラバードで生まれています。父親はインド行政職(IAS)で働く公務員、母親はサンスクリット語の学者で、父親の仕事の都合で幼少時代には何度も引っ越しを経験したようです。

 当時のインドでは、IASの試験に合格すれば一生安泰だと考えられていましたが、ナデラ氏自身は両親から勉強を強制されることはなく、勉強はするけれども、それ以上にクリケットに熱中。学校の代表としてプレーするほどクリケットが得意な少年でした。

 ナデラ氏は、著書『Hit Refresh』でクリケットから大切な3つの原則を学んだと記しています。

第1の原則:おじけづき、ためらってしまうような場面でも気迫と熱意で立ち向かう
第2の原則:自分個人の成績や評判よりも、チームを第一に考える
第3の原則:自分が率いているメンバーの自信を高めること、それこそがリーダーの一番の仕事

(『Hit Refresh』p58~p61)

 いずれもナデラ氏の人生における大切な原則となっていますが、転機は15歳の時に訪れます。

「そうすれば人生に失敗しない」学生時代に導き出した“軸”

画像
サティア・ナデラ氏の経歴をまとめた年表
(出典:各種資料から整理)
 インド全域から集まった学生が寄宿生活を送りながら学ぶ「ハイデラバード・パブリックスクール」で学んでいたナデラ氏は、相変わらずクリケットに熱中していたものの、父親からシンクレア・リサーチ社の「ZX Spectrum」というコンピューターをプレゼントされたことで、ソフトウェアやエンジニアリングにも関心を持つようになります。

 その後、インドの子どもたちが憧れるインド工科大学の入学試験には失敗、マニパル工科大学の電気工学部に入学します。そこはクリケットには不向きだったため、ナデラ氏は在学中にクリケットをやめますが、代わりに起業家精神あふれる友人たちと出会ったことで、「コンピューターが自分にとって最も大切なものになった」と後に振り返っています。

 当時、ナデラ氏は自分の将来についてこう考えていたようです。

「自分の好きなことをしていれば、ベースは自(おの)ずと決まる。自分が楽しいと思うことを、よこしまな目的に左右されず、心を込めてしっかりとやる。そうすれば、人生に失敗することはない」
(『Hit Refresh』p37)

 大学を卒業したナデラ氏は、南イタリアのポンペイにある有名な生産工学研究所に入所するか、米国の大学に進むかで迷いますが、幸いにもビザが下りたことで、米ウィスコンシン大学のコンピューター科学の修士課程へと進みます。1988年、21歳の時です。 【次ページ】グーグルCEOら輩出した名門企業を経てマイクロソフトへ

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