- 会員限定
- 2023/12/22 掲載
初期は重さ「30トン」の激ヤバ仕様、PCはなぜ市場の「主役」になれたのか?
九州大学大学院 経済学研究院 教授
九州大学経済学部卒業。九州大学博士(経済学)
1984年日本開発銀行入行。ニューヨーク駐在員、国際部調査役等を経て、1999年九州大学助教授、2004年教授就任。この間、経済企画庁調査局、ハーバード大学イェンチン研究所にて情報経済や企業投資分析に従事。情報化に関する審議会などの委員も数多く務めている。
■研究室のホームページはこちら■
・著者:篠崎 彰彦
・定価:2,600円 (税抜)
・ページ数: 285ページ
・出版社: エヌティティ出版
・ISBN:978-4757123335
・発売日:2014年3月25日
世界最初の実用コンピューターは「デカすぎ重すぎ」
コンピューターの開発と商用化は、破壊的技術(Disruptive Technology)の台頭で既存の主要製品が追い落とされる「下克上」の繰り返しだった。横山(1995)によると、最も古い歯車式計算機の発明は、優れた哲学者で数学者でもあったパスカルが活躍した17世紀にまでさかのぼれるが、今日のような電子式コンピューターの開発が始まったのは1940年前後のことだ。
世界最初の実用コンピューターとしては、1946年にJ. Prosper EckertとJohn William Mauchlyが、砲撃兵器の弾道計算を目的に、米国ペンシルベニア大学で開発したENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)が有名だ(注1)。
この第1世代のマシンは、1万8800本の真空管と6000個のスイッチを使い、30トンの重量と1800平方フィート(約170m²)面積を占めた。まるでファミリーマンション2軒分の巨大装置だが、性能は現在のノートPCやスマホのほうがずっと優れている。
では、コンピューターの開発は、当初から今のような小型化が目指されていたかというと、意外なことにまったくの正反対であった。黎明(れいめい)期の開発者たちは、コンピューターはどんどん巨大化していくと予想していたのだ。
『2001年宇宙の旅』に見る当時の“コンピューター観”
プログラム内蔵方式を考案し、コンピューターの父とされるフォン・ノイマンは、技術が発達していけばビルのような巨大なコンピューターが構築され、人間の脳と同じような性能を持つと予想していた。そもそも、IBM創業時の社長トーマス・ワトソンは、「全世界のコンピューター市場は5台ぐらい」と見ていたし、一時世界第2位となったDEC(Digital Equipment Corporation)の創業者ケン・オルセンは「自宅でコンピューターを使いたいとは誰も思うわけがない」と考えていた。
1968年に封切られたスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」では、木星に向かう巨大な宇宙船全体が1つのコンピューターであり、宇宙飛行士はその内部で活動するかのごとく描かれていた。
当時は、大規模コンビナートに象徴される工業化の全盛期で、「大きいことはいいことだ」という風潮が社会に満ち溢(あふ)れていたことも影響しただろう。だが、実際にはまったく異なる道を進んだ。
小型化が進んで各家庭に普及したばかりか、今では誰もが常時携帯し、移動中でさえ片手で操作している。小型化はなぜ可能になったのか。それは、電子的信号の伝達に不可欠な半導体技術の進歩によるものだ。 【次ページ】当時のPCはなぜ「おもちゃ」扱いだった?
関連タグ
関連コンテンツ
PR
PR
PR